福井地裁と鹿児島地裁で、原発なんちゃら差し止め訴訟で,真逆の判決が出ました。
ん? それって、どういうことよ・・・と誰もが思うんですが
結局、これって、「それでも僕はやってない」という映画とかぶるんですが
「法廷という所は、真実を明らかにするところではない」ということ
検察側と弁護側
原告泡と被告側
双方のうち、どちらがより説得力のある説明ができるか
どちらが裁判官を納得させることができるか
この勝負なんですね
・・・で、福井と鹿児島のどちらが正しいのか・・・
それは,裁判官が違うんだから,異なる結果が出ても不思議はない
ただ、判決に至った理由の一部に腑に落ちないことがあります
福井地裁の判決、原告側の証拠として、ある学者が地震に関して語ったコメントを採用してるんですが、それが「新聞記事そのもの」を採用していること。そして、その学者さん本人が「裁判で引用された私の発言は、長いコメントの一部を曲解したもの」と発言していること。新聞記事は,当然新聞記者が書いた文章であって、学者本人の発言とはズレていることも多いもの。にもかかわらず、裁判所は学者本人に何の確認も取らず、新聞記事の文章をそのまま学者の見解として採用。お粗末の極みです。こんなプロセスで判決を出されたのでは、被告もたまったものではありません。
そのほかにも、裁判官の判決理由には不可解な点、ゼロリスク信仰が感じられ、「この裁判官は科学の基本を理解していない」と感じました。科学を冒涜している
・・・というような記述をすると、「とりさんは原発推進派なのね」とすぐ言われそうですが、基本的には私は反対派です。
今日のこの記事は「裁判のいかがわしさ」を述べているだけで、原発の是非とは何の関係もありません。
考えてみれば、医療事故とか、専門家でないと分かりっこない分野なんていくらでもあるのに、裁判所って、全てをカバーしなきゃいけないんだから、そんなの無理ですよねえ